平成24年 西郷南洲翁を偲ぶ旅(5)

一通り鹿児島市内の「南洲翁ゆかりの地」を終え、我々一行は再び南洲墓地へ向った。

 

西郷隆盛公賛会さん、鹿児島龍馬会さんが主催する南洲翁を偲ぶ演奏会に参加するためである。

 

演奏されるのは地元の自衛隊の皆さん。南洲翁の墓前にて演奏をするのである。

 

明治10923日、薩摩軍が立て篭もった城山をぐるりと囲んだ明治新政府軍が南洲翁に対し惜別の意を表して精一杯の演奏を捧げたのである。

 

敵の総大将とはいえ南洲翁を敬愛する明治新政府軍が"せめてものはなむけ"として演奏したというエピソ-ドを平成の世に再現したのがこの催しである。

 

北海道南洲会として参加させていただいたのは昨年に続き今年で2回目。

 

私個人は3回目の参加であるが過去、この場にいて涙が流れるのを堪えることに苦労してしまう。

 

日本史上、屈指の英雄、偉人そして薩摩の人々から神のように崇め奉られた南洲翁が明治10923日の夕刻、どのような心境で敵陣の演奏を聴いたのだろうか。

 

 

本演奏の後、高知県から駆けつけた二人組の歌手が南洲翁と坂本龍馬さんの友情を表現した歌を披露してくれた。

 

 

演奏.jpg

 

 

開始から間もなく1時間。

時刻は19時近くなっていた。この頃になるとあたりは薄くなってきた。

このイベント終了後、これまた恒例の「堤燈行列」に移る。

 

龍馬の恩返し」と題したこの行列は南洲墓地から南洲翁生誕の地まで堤燈を手に鹿児島市内を練り歩くイベントである

 

私は2年前に参加したので今回はパス。当会からは斉藤さん、シ-トンさんが参加してくれた。

 

 

堤燈行列」終了後、懇親会が開催された。

 

時間は21時とかなり遅い開始ではあったが大いに盛り上がった。

 

会場は「南洲館」。鹿児島龍馬会広報部長が経営されるお店である

 

 

 

 

旗.jpg

 

ここの名物は「黒豚鍋」である。何でもコンテストで日本一に輝いたそうである。

 

確かに珍しく味わい深い鍋であった。

 

 

 

ナベ.jpg

 

本懇親会にて私は乾役を仰せつかった。乾杯の前に私の持論を一言述べた。

 

「もし私が明治10年に生きて日本にいたなら間違いなく鹿児島にはせ参じ、西郷先生と共に戦っていただろう」

 

私の少しだけ激しい挨拶終了後は終始、和やかな雰囲気での会食となった。

 

ここで私は宮下亮善住職(南泉院)から貴重な助言を頂戴した。

 

 

miyasita.jpg

 

「物事をなすには私利私欲を持ってはいけない。それと徹底的にバカにならなくてはいけない」

 

宮下住職は満足に学問を受けることのできない子供達のため、ミャンマ-に50以上もの学校を建設されたのである。まさに行動でご自身の生き様を示しておられる南洲翁精神の体現者でもある。

 

ちなみに宮下住職は中学、高校生時、毎日曜日に南洲翁のお墓掃除を欠かさなかったそうである。信念の薩摩隼人である。

 

宮下住職との出会いは私の財産になった。仲介の労を担ってくださった井上剛鹿児島市議会議員にあらためて感謝申し上げる次第である。

(下の写真が井上市議)

 

井上.jpg

 

翌日は朝から南洲神社へ行き南洲翁のお墓に手を合わせた。この日、924日は南洲翁の命日である。

 

南洲神社の例祭に参加し、その後は島津家のお墓があるお寺に向った。(下の写真は島津斉彬公とご夫人のお墓)

 

 

しまず.jpg

 

ここには明治新政府に抗議をして割腹自殺をした横山正大さんのお墓も存在していた。

 

 

 

横山.jpg

 

私が一度はそのお墓に手を合わせたかったお方である。

 

その後、鹿児島空港に向かい34日の旅を終えようとしていた。

 

以上、駆け足で紀行文を書き記してきたが機会があれば加筆してより丁寧な文章にしたいと思う。

 

明日は私にとって11回目の「南洲翁の墓参」に出発する。

 

出発の前日に本紀行文を終えることができ安心している。

 

さて今年はどんな出会いそして発見があるのだろうか。

 

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