平成24年 鹿児島ツア-の最近のブログ記事

一通り鹿児島市内の「南洲翁ゆかりの地」を終え、我々一行は再び南洲墓地へ向った。

 

西郷隆盛公賛会さん、鹿児島龍馬会さんが主催する南洲翁を偲ぶ演奏会に参加するためである。

 

演奏されるのは地元の自衛隊の皆さん。南洲翁の墓前にて演奏をするのである。

 

明治10923日、薩摩軍が立て篭もった城山をぐるりと囲んだ明治新政府軍が南洲翁に対し惜別の意を表して精一杯の演奏を捧げたのである。

 

敵の総大将とはいえ南洲翁を敬愛する明治新政府軍が"せめてものはなむけ"として演奏したというエピソ-ドを平成の世に再現したのがこの催しである。

 

北海道南洲会として参加させていただいたのは昨年に続き今年で2回目。

 

私個人は3回目の参加であるが過去、この場にいて涙が流れるのを堪えることに苦労してしまう。

 

日本史上、屈指の英雄、偉人そして薩摩の人々から神のように崇め奉られた南洲翁が明治10923日の夕刻、どのような心境で敵陣の演奏を聴いたのだろうか。

 

 

本演奏の後、高知県から駆けつけた二人組の歌手が南洲翁と坂本龍馬さんの友情を表現した歌を披露してくれた。

 

 

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開始から間もなく1時間。

時刻は19時近くなっていた。この頃になるとあたりは薄くなってきた。

このイベント終了後、これまた恒例の「堤燈行列」に移る。

 

龍馬の恩返し」と題したこの行列は南洲墓地から南洲翁生誕の地まで堤燈を手に鹿児島市内を練り歩くイベントである

 

私は2年前に参加したので今回はパス。当会からは斉藤さん、シ-トンさんが参加してくれた。

 

 

堤燈行列」終了後、懇親会が開催された。

 

時間は21時とかなり遅い開始ではあったが大いに盛り上がった。

 

会場は「南洲館」。鹿児島龍馬会広報部長が経営されるお店である

 

 

 

 

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ここの名物は「黒豚鍋」である。何でもコンテストで日本一に輝いたそうである。

 

確かに珍しく味わい深い鍋であった。

 

 

 

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本懇親会にて私は乾役を仰せつかった。乾杯の前に私の持論を一言述べた。

 

「もし私が明治10年に生きて日本にいたなら間違いなく鹿児島にはせ参じ、西郷先生と共に戦っていただろう」

 

私の少しだけ激しい挨拶終了後は終始、和やかな雰囲気での会食となった。

 

ここで私は宮下亮善住職(南泉院)から貴重な助言を頂戴した。

 

 

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「物事をなすには私利私欲を持ってはいけない。それと徹底的にバカにならなくてはいけない」

 

宮下住職は満足に学問を受けることのできない子供達のため、ミャンマ-に50以上もの学校を建設されたのである。まさに行動でご自身の生き様を示しておられる南洲翁精神の体現者でもある。

 

ちなみに宮下住職は中学、高校生時、毎日曜日に南洲翁のお墓掃除を欠かさなかったそうである。信念の薩摩隼人である。

 

宮下住職との出会いは私の財産になった。仲介の労を担ってくださった井上剛鹿児島市議会議員にあらためて感謝申し上げる次第である。

(下の写真が井上市議)

 

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翌日は朝から南洲神社へ行き南洲翁のお墓に手を合わせた。この日、924日は南洲翁の命日である。

 

南洲神社の例祭に参加し、その後は島津家のお墓があるお寺に向った。(下の写真は島津斉彬公とご夫人のお墓)

 

 

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ここには明治新政府に抗議をして割腹自殺をした横山正大さんのお墓も存在していた。

 

 

 

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私が一度はそのお墓に手を合わせたかったお方である。

 

その後、鹿児島空港に向かい34日の旅を終えようとしていた。

 

以上、駆け足で紀行文を書き記してきたが機会があれば加筆してより丁寧な文章にしたいと思う。

 

明日は私にとって11回目の「南洲翁の墓参」に出発する。

 

出発の前日に本紀行文を終えることができ安心している。

 

さて今年はどんな出会いそして発見があるのだろうか。

 

西郷南洲先生の温泉好きはあまりにも有名である。先生が遺された詩のなかでも「温泉に浸かり心身の汚れが綺麗さっぱり取り除かれた」という作品が数点存在する。

 

鹿児島は温泉の宝庫である。霧島温泉郷は多数の温泉宿があり南洲先生の盟友であった坂本龍馬さんは妻のお龍さんと塩浸温泉に投宿している。日本で初めての新婚旅行とも言われたこの投宿は南洲先生の勧めによるものである。

 

数年前NHK大河ドラマ「龍馬伝」放映中、「龍馬とお龍さんハネム-ンの地」と称する塩浸温泉跡の施設には多数の観光客で賑わっていた光景を私は今もはっきりと覚えている。もっとも翌年は閑散としていたが。

 

我々が訪れた地は「鰻温泉」である。近くに「うなぎ池」があり静かな土地である。硫黄の匂いが温泉地であると認識させてくれる。北海道の川湯温泉の似た匂いである。

 

到着後雨の勢いが強くなってきた。気温も下がっている。肌寒さを感じるほどであった。

 

ここでは南洲先生の石像を見学。

 

 

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私は数年前にこの地を訪れたのだがこの石像を発見することが出来なかった。やはり多数で訪問すると色々な発見を得ることができると実感した。

 

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石像の横には色あせた看板が立っている。文字もかすれてしまっているのだが「佐賀の乱に敗れた江藤新平が西郷を頼るため訪れた地」と書かれてある。

 

江藤は遣韓論(明治6年の政変)に破れ下野した後、故郷の佐賀に戻り乱に巻き込まれてしまったのである。

 

それにしても車など存在しない時代、佐賀から鹿児島の南端までよくぞ歩いたものだと感心さえしてしまう。

 

この「鰻温泉」で南洲翁と江藤が激論を交わした様子を現地の女性がみているとのこと。「決起」を促す江藤に対し南洲先生は大声で叱りつけるのである。

 

しかし南洲翁はかつての"同志"に対し温泉に浸かることを勧め食事を振る舞うのであった。

 

このあたりの話は小説などでも描かれているので皆、当時の光景を思い浮かべていたのかもしれない。

 

石像見学の後は「鰻温泉」を見学した。

 

 

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「せっかく遠くまで来たのだから」と一同、入浴することに。

 

近所に住む方も入浴に来ていたが合計7名もの入浴客をみて驚いていた。「一度にこれほど多くの人がやってきたのは初めてだ」とのこと。

 

確かにここの脱衣所も浴槽も狭いのである。

 

この温泉はもちろん100%源泉掛け流し。毎日、湯の温度が変わる。この日は特別に熱く我々は恐る恐る、そしてゆっくりと浴槽に浸かっていった。しかしあまりの熱さに耐え切れずすぐに浴槽から出る会員もいた。

現地の老人でさえ「今日の湯は非常に熱い。昨日はこんなに熱くなかったのに」と言っていた。

 

湯に浸かりながら南洲先生を偲ぶ余裕など全くなかったが皆で熱湯に耐えながら入浴することが出来たことは良い思い出になったのではないだろうか。

 

火照った身体を鎮める間もなく我々は車に乗り次の目的地に向った。

 

雨はますます激しく降ってきた。そのため「篤姫ゆかりの地」散策を断念した。

 

この日最後の訪問場所は指宿「砂蒸し風呂」であった。南洲先生と関係のない訪問場所ではあるがめったに来ることができない観光地ゆえ予定に組み込んでいた。

 

とはいえ「篤姫ゆかりの地」を省略しての「砂蒸し風呂」は"温泉続き"ゆえうんざりした会員もいた。無理からぬことであろう

 

それでもシ-トンさん、斉藤さん、木村さん、私(工藤)は予定通り"決行"した。

(ちなみに私は3回目の体験である)

 

脱衣所で全裸になり浴衣を着て砂浜へ出る。係の方の指示で砂の上に横になる。スコップで身体に砂を掛けられるといいようも無い感情が湧いてくる。

しかし徐々に熱気が背中に伝わる頃には運転の疲れもあり私は寝てしまった。

 

隣で横になっていた斉藤さんの「会長、いつまでこのままでいるのですか?」との声でハッと目が醒めた。慌てて「そろそろ出ましょうか」と返答して脱衣所で向った。

 

外はもう暗くなっている。おまけに雨も激しさを増している。

 

この日の夕食は薩摩料理店でとる事になっている。私の後輩でもある鹿児島市議会議員の井上剛氏が予約してくれたので予約時間に遅れるわけにはいかない。

 

それでも降雨のためか鹿児島市内の道路は渋滞であった。お店には「遅れる」旨の電話を車中からすることになってしまった

 

黒おでん、薩摩地鶏などの料理に舌鼓を打った。鹿児島龍馬会会長の馬場甚史朗氏も参加して下さった

 

私が黒おでんなる郷土料理を口にしたのは今回が初めてである。その見た目の色に比べ味付けが濃くはなかった。

 

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我々の隣のテーブルでは地元の若者が"鹿児島流飲み会"を楽しんでいた。料理、店の雰囲気につつまれ鹿児島に滞在している実感があらためて湧いた次第。

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明日の行程はいよいよ「西郷南洲翁ゆかりの地」訪問である。

2日目は朝から晴天に恵まれた。心配していた気温も「ちょうどよい」体感であった。

 

不思議なことであるが前回そして今回、鹿児島での気温は涼しく同時期の札幌市と比べても「少し暑い」と感じる程度である

 

我々第1班は宿泊先が別になっている第2班と8時過ぎに合流した。

 

目的地は「知覧」である。

 

直接、西郷先生とは関係がないが参加者からの要望があったので訪問地に加えた次第。

 

私は数年前に訪問しているが再訪を望んでいたので良い機会であった。

 

移動は昨日同様、レンタカ-である。道路がすいていたことと高速道路を利用したこともあり鹿児島市内から約1時間強で到着した。

 

最初の見学地は「知覧武家屋敷」であった。ここは260年前から変わらぬ姿を保ち続け"箱庭"のような趣がある。この屋敷には現在も住んでいる方がいることが260年という年月を感じさせない要因のひとつかと思ってしまう。

 

 

 

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見学は各自自由とし数人のグル-プごとの"散策"となった。朝の新鮮で涼しい空気を吸いながらゆっくりと見学していると気分も晴れてくるようであった。

続いて「薩摩英国館」へ。言うまでも無く鹿児島とイギリスはあまりにも強い因縁が存在する。幕末期「生麦事件」が原因で鹿児島(当時は薩摩藩)とイギリスとの間で戦争が勃発した。有名な薩英戦争である。しかし世の中、何が幸いするかわからない。薩英戦争を契機に終戦後、両国は急接近し互いに交流を始めるのである。

 

 

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この「薩摩英国館」はそんな薩摩藩とイギリスのかかわりを紹介した建物である。こちらでは両国の歴史を紹介するのみならず紅茶を製造しているのである。知覧地域ではお茶の栽培が有名であるが紅茶の栽培にまで進出していたとは私も初耳であった。ちなみに「薩摩英国館」では2007年に製造された紅茶がイギリスで金賞を受賞しているのである。

 

私は紅茶通ではないのだが試しにこの紅茶を購入してみた。イギリス出身のシ-トンさんも購入していた。後日、味の感想を尋ねると「香りも味も良い」と高評価であった。

 

次の訪問先は「ちらん人形博物館」。私はその存在自体、知らなかったのだが"知る人ぞ知る"存在だとか。こちらの館長が生活を切り詰め長年に亘り収集した人形の数は何と10,000点だそう。あえて数えることはしなかったが決して広いとはいえない館内にびっしりと置かれた人形には感動すらおぼえた。西郷先生の人形も置かれており楽しませていただいた。

 

 

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「ちらん人形博物館」の近くには「特攻隊員の母」と呼ばれた鳥浜トメさんが経営していた「富屋旅館」を復元した建物があったのでこちらも見学することに。

 

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建物内には太平洋戦争末期における特攻隊員とトメさんとの交流を紹介した写真、手紙などが余すところ無く展示されていた。

 

隊員の殆どが10代後半から20代前半の若者であった。

 

まもなく去り行く者と彼らを送り出す側との悲しくも心温まるエピソ-ドに落涙寸前になった会員も存在したのではなかろうか。

 

沈痛な面持ちのなか「富屋旅館」を後にして向った先はこちらも大海に散っていった特攻隊員を紹介した「知覧特攻平和会館」。

 

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私は5年前に初めて訪問しているので今回が2度目の訪問であった。会員の殆どは初訪問であったのではないだろうか。 

この広い会館の全ての資料を見てまわるには恐らく1日を要するであろう。それ位密度の濃く一つ一つの資料を眺めると考えさせられることが多いのである。 

 

 

こちらの感想はあえて記さないことにする。紙面が足りないというか書き記す時間がないのである。

 

ただ一つだけ言えるのは「数多くの若い日本人の犠牲の上に現在の日本及び日本人が存在している」ということである。

 

 

私の祖母の弟もこの戦争で南海に沈んでいったと聞いている。とても他人事には思えない。

 

ここでの見学は団体行動をとらず自由行動とした。気がつけば1430分を過ぎていた。

 

あわてて姿の見えない会員の携帯電話に連絡を取り集合をお願いした。やはり見学前に昼食を済ませていて正解であった。

 

出発する頃には雲行きが怪しくなりいまにも雨が降りそうであった。

 

次の目的地は「鰻温泉」である

 

温泉好きの西郷先生が愛した温泉地の一つである。

 

 

「光陰矢の如く」。

 

言い古された日本語ですが数年前からつくづくこの言葉を実感することが多いです。

 

気がつけば来月の24日は西郷(南洲)隆盛先生の命日。つい先日、北海道南洲会として2回目の「鹿児島ツア-」を終えたと思っていましたら間もなく1年が経過します。

 

私が「近いうちに鹿児島ツア-の紀行文を記します」と宣言して手付かず状態です。

 

「これはいけない。有言不実行は西郷先生が最も嫌われる行為だ」と反省し今回から駄文ではありますがご紹介させていただきます。

 

ご感想などいただけましたら幸いです。

 

 

 

「平成24年 西郷南洲翁を偲ぶ旅を終えて」

 

9月21日~24日の3泊4日の行程で熱くそれでいて厳粛な旅が開催された。

 

今回は11名の参加。一昨年の参加者が3名であったので3倍以上の人数であった。

一昨年と異なり今年は台風上陸の心配をすることもなく無事、鹿児島に到着することができた。

 

今年は申込みの都合で第1班と2班に分かれてしまったが鹿児島での行動はほぼ同一。私は第一班に所属。他メンバ-は山川副会長、武谷顧問、フィリップ・シ-トンさん。

鹿児島空港到着後、12時を過ぎていたのですぐに昼食。昨年同様、不思議と涼しい気候であった。

 

昼食後は日置市へ直行。目的は鹿児島県内大手焼酎メ-カ-である小正醸造㈱様の工場見学である。

 

 

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実は小生醸造㈱社長小正芳史様は山川副会長の大学の同窓なのです。今回、山川副会長のご尽力で工場見学の機会を得ることができた。

 

日置市は自然豊かな地域で水も綺麗とのこと。上質の焼酎を造るには原材料はもちろんのこと周辺の環境も大きな要因になると思った次第。

 

到着予定時間を過ぎていたにもかかわらず小正社長ご夫妻始め多くの従業員の皆様が我々を出迎えて下さったことによりこれまでの疲労が一掃された。

 

 まずは本社に隣接する販売店にて名刺交換などご挨拶をさせていただいた。小正社長夫人の出身地は何と札幌市。遥か離れた地で不思議なご縁を感じた。

 

 

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こちらではビデオを見学した。

 

その後工場見学のため販売店を出たところで第2班が到着した。メンバ-は工藤健司夫妻、斉藤一治さん、松井大生さん。

 

小正社長もご参加して下さっての工場見学は全て驚くことばかり。

 

まず材料のさつまいもは農家と直接契約をされているのです。(下の写真が大量に貯蔵されているさつまいもです)

 

 

 

 

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厳選された良質のさつまいも以外は使用しないという小正社長のこだわりによるものです。工場見学の過程で実際に焼酎の原料として使用されているサツマイモを口にする機会があった。

 

小正社長のご厚意で蒸かしたさつまいもを出していただいた。実は第2班の皆さんは鹿児島空港到着後昼食をとらずに小正醸造さんに向ったので朝食を食べてから何も口にしていなかったとのこと。口々に「やっと食料にありつけた」の声があがり一同、大爆笑。このさつまいも、私も口にしたのだが甘くホクホクした味はまもなく一年が経過しようというのに未だに舌が覚えているほどである。

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工場見学の後、一同お土産用の焼酎などを購入した。「鹿児島限定」焼酎は良いお土産になった。

 

帰りは小正社長ご夫妻始め多くの従業員の方々が見送って下さった。あらためて厚くお礼を申し上げる次第です。

 

 

 

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鹿児島市到着後、鹿児島龍馬会の皆様との懇親会が行われた。自己紹介、意見交換など初日から気勢をあげた。懇親会終了後、殆どの会員は二次会に参加した模様。私は天文館にて木村彰男札幌市議を迎えに行ったので不参加。木村さんは札幌での公務を終え鹿児島空港に最終便にて到着されバスで鹿児島市内に向ったのである。22時過ぎから二人でラ-メンを食べ意見交換をした。お互いに会うこと自体、久しぶりであった。

とにもかくにもこうして全員が揃い「平成24年鹿児島ツア-」第一日目を無事に終えた。

 

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